1929

a fisherman

この頃めっきりボードゲームづいてる。週末は仕事仲間との集まりで5時間やりこみ、きのうもハッシー主催のパーティーにお邪魔した。一週間前には友だち4人でカロムの全国大会にも参加した。アプリやオンラインゲームはそれはそれとして、人が集まってできるゲームって本当にいいなと思う。人種も場所も年齢も選ばないのもいい。

ゲームとはいえ勝負ごと。そこに勝ち負けは存在するのだけど、大切なのは勝つことより「負けないこと」だと痛感する。これは僕の考え方に過ぎないけれど、どうすれば負けないかを突き詰めた先に勝ちがあって、単に「勝ちを目指す」ではイメージが掴めないし、どこかギャンブルのような危うさがある。とはいえ「負けない」だけでは勝てない時もあるし、そういう一筋縄ではいかないところがまた魅力的。

Date: 15/06/29 Photo: SIGMA dp3 Quattro

1928

shadow

着物の女性と歩くなら、速さを合わせて当たり前。ごく普通の思いやり。そんなたとえ。

Date: 15/06/27 Photo: SIGMA dp3 Quattro

1927

strong weeds

明日は仕事仲間17人でお勉強会&ボードゲーム大会。僕は共同主催であり司会進行役。人を集めるのは苦じゃないし、それがきっかけで繋がってくれたら嬉しい。人見知りの人も、どうしたら早く打ち解けられるかな、とか、そんな事を考えてる時間は本当に幸せ。

極論、そこに僕はいなくていい。自分は段取りだけして、あとはみんなが喜んでくれたら、それで十分。年末のAつMATAでも、参加してくれた人の楽しそうな顔を見ると同じ気持ちになる。自分は自分の役割だけに徹すればそれでいいや、と。でも、それは自分だけの無責任な感情で、本当にいないと周りに迷惑をかけてしまう。関わった以上「そこにいる」大役がちゃんとある(もちろん楽しむことも忘れずに)。

大学の頃、ハッシュドビーフ作り過ぎて友達呼んで食べてもらおうとしたら「安藤も一緒に食べようよ!」ってド真剣に怒られた。極論はあくまで極論。やるもんじゃないよ。

Date: 15/06/26 Photo: SIGMA dp3 Quattro

1926

driftwood

きのうのブログを読んでくださり、僕と同じように、心も身体も疲れ果ててしまったという方からメッセージをいただいた。喜ばしいことではないけれど、嬉しかった。僕も救われたし、たとえ一瞬でも「自分だけじゃなかった」と、その方を救えたかも知れない。そう思うと嬉しかった。

しばらくやりとりして「お互いチカラ抜き上手になりましょう」と締めくくり。いい関係性。実際いま、少しずつラクに過ごしてる。僕がラクでいることで、ラクになる人もいる。それにしてもこの流木、ひっくり返った鹿みたい(・_・)

Date: 15/06/24 Photo: SIGMA dp3 Quattro

1925

sunset

幸せなことに、やりたいことを仕事にしている。今はそれで何とか暮らしていられる。やりたいことだけやっている、なんてことはない。全くもって、ない。お金の交渉は一向に好きになれないし、どれだけ歩み寄っても相容れない時はある。相手の期待に応えられないことだって。いろんなお客さまの人生を背負うのは少しも簡単じゃない、それがほんの一部だったとしても。

やりたいことを続けるために、皆それぞれ背負ってるものがある。この間は背負いきれず僕は身も心もボロボロになってしまった。この先も無いとは言い切れない。それでもここにしかない喜びは確かに存在して、幸せを感じられる。だから続けていられる。

そうやっていろんなものを背負いながらも人前で笑顔を絶やさない人を、心から尊敬する。

Date: 15/06/23 Photo: SIGMA dp3 Quattro

1924

sunset

相手の気持ちを理解したり、知ろうとしたり、察したり、学んだり。コミュニケーションの根底にある「人との関係性」をまず大切に。常識にこだわることなく、その結果できたカタチを愛したい。自分の常識が非常識になる場面は、関係が深まるごとに増えてくるもの。その時どう向き合うか。どう思いやれるか。それが今、目の前のすべてに通じてる。

Date: 15/06/21 Photo: SIGMA dp3 Quattro

1923

七福堂製菓

写真がめっきりSIGMA(dp3 Quattro)づく中、久しぶりにD300で写真を撮ったら前よりうまく撮れるようになってた。理由は明らか。

dp3を買ったのは、手持ちのNikonレンズにマンネリを感じてのこと。実際、期待を大きく上回る新鮮な表現を見せてくれた。一番の売りである解像感はもちろん、フォーカス性能が素晴らしい。でもその時「アレおかしいぞ?」と気づく。フォーカスの性能は一眼レフの方が高いはず。それなのに評価しているのは、じゃない方のカメラ。これじゃまるで正月恒例のバラエティ番組だ。

一般的に、高級になればなるほど「自分好み」に設定できる付加価値がモノにはある。iPhoneなんかもそう。ただ、その自由度が嬉しい反面、項目が細かすぎてひとつひとつ見ていられないこともしばしば。dp3はその道を逆行する「限りなく機能を絞った」カメラ。設定にそこまで自由度はない。その「自由のなさ」が、D300だけ使っていた時にはカメラ任せだった「フォーカスの楽しさ」を意識させてくれることになった。とても面白い体験。

新しい風に「マンネリの解消」を期待したはずが、いざ蓋を開けてみれば、これまでマンネリだった関係そのものまで改善してくれた。最後は「どっちもいいね」に落ち着いた。こうなるともう、技術の無さをカメラのせいにしてた自分にドロップキック(または水平チョップ)。気付いて学ぶことばかり。学びは可能性。

Date: 15/06/20 Photo: Nikon D300 + AF-S DX NIKKOR 35mm f/1.8G

1922

sunset

一年ほど前「自分を守らない」と覚悟を決めた。長く生きたことで、次へ進めない壁を自分自身で作っている感覚がずっとあった。それがすごくすごく邪魔で、何とかしてその壁を乗り越えたかった。変わりたかった。実際にやってみて、得たものは想像以上に多く、これまでにない新しい自分にも出会えた。

反面、傷つくことも同じかそれ以上に多かった。防御力0の丸腰な状態は、ちょっとしたことでも本当に痛い。「ココロが痛い」という言葉の意味を改めて実感した。だけれども、少しは相手の痛みを感じとることができたように思う。かわしたり、守りに徹している時は、相手の痛みには決して気が付かない。守ることに精一杯で。逆に自分の痛みが多い時は、その分きっと相手も痛いんだろうと思えるようになった。100のエネルギーは、いつの間にか50には決してならない。ただその行方を見過ごしているだけ。

こんなことは普通、もっと昔に経験しているんだと思う。僕は早くから自分を守って生きてきたみたいで、だから今頃になってこんなことをやっている。でも、これ以上続けられる気力も体力も今の自分には無いから、そろそろやめようと思う。自分を大切にしないと、守れないものもある。

今日、これから独立する人に、何か力になれることはないかと夢中で伝えたことがある。意図通りに伝わったかは分からないけど、確かに何かが伝わった気はする。更新の頻度は激減してしまって本当に申し訳ないけれど、このブログでもそんな事ができたらいいなと思う。真面目でもくだらなくても、本気が伝わればいいなと思う。

Date: 15/06/19 Photo: SIGMA dp3 Quattro

1921

剥がれ|鳴門岬

誤解を解くって、簡単そうでとても難しい。それでもやるしかないんだけれど。分かってくれると、いいんだけど。

Date: 15/06/08 Photo: SIGMA dp3 Quattro

1920

大鳴門橋

自覚は「すなお」に出会えて、「幸せ」を運んでくれる。

Date: 15/06/01 Photo: SIGMA dp3 Quattro