東北(26)〜まとめ 01〜

仙台駅周辺

東北(といっても主に宮城ですが)に行ってまず感じたのは、「いいところだなぁ」ということ。

拠点にした仙台の街は栄えているし、少し離れたら豊かな自然にも出会える。古き良き日本もある。風景もいい。お水も美味しい、お米も美味しいとなれば、もれなくお酒も美味しい。もちろん魚も美味しいし、野菜だって美味しい。郷土料理やお土産もたっぷり。人柄もいい。温泉も多い(入れなかったけど)。あと牛タンも。

今まで日本のいろんな所に行ったけど、正直なところ東北はあまりピンときていなくて、今回のきっかけがなかったら、果たしてこの先も行っていたかどうか怪しい。先入観を変えることができて本当に良かった。蓋を開けてみて良かった。

ここに住みたいかどうか。

これは最近の旅で考えていることだけど、たとえいい観光地であっても、住めるかどうかは全く別の話。東北は自然に「住みたい!」と思いました。さっき書いた理由はもちろんのこと、感覚的にもかなりしっくりきたので。そんな土地だから、愛着が湧くのに時間はかかりませんでした。滞在中には「AMATA移転したらどうなるかな〜」なんて妄想もしました。

だからこそ、そんな愛すべき土地が被害に遭っている事実が、とても悲しくなりました。それだけでなく、いわゆる「風評被害」と呼ばれるものによって「とりあえず近づかない方がいいところ」になっていることも、とても残念でした。

とはいえ、現地ではほとんどの人がマスクをしていない中、滞在中の7割以上、僕はマスクを着用していました。果たしてマスクがどれほどの効果があるのかは知りません。でも、目に見えない恐怖はありました。それは行く前から確かにありました。

分からないから、怖い。

でも、たった数日の滞在でどうこう騒ぐことじゃないし、そんなに自分が過保護になる事情も理由も僕にはありません。このまま頭の中で自問自答を繰り返す日々を送るくらいなら、情報の詰まっている現地に行く方がよっぽど健康的だし、何より「前に進む」ことができます。勇気ある人たちに少しだけでも近づくことができます。デザインの仕事も同じで、答えのほぼ全ては現場で見つかります。それだけは分かっていたから。

それに、たとえそれがリスクだとしても、得られたものの方が遙かに多かった。何十、何百倍なんてものじゃない、もっともっと、それ以上のもの。本当に、計り知れない。

このまとめは数回に及びますが、僕が望むことは、現地に行った人も言っていない人も、問題をフラットに捉え、フラットに発言できる空気になること。

僕自身「現地に行くまでは、東日本大震災について決して軽はずみに語るまい」という意識を持ち続けていましたが、現地に行ける人もいれば、そう出来ない人や、行こうとは思わない人もいます。いろんな心境や事情、思いがあります。そこに優劣を持ち出すのではなくて、情報を得た人はそれをなるべく共有して、少しでも「フラットな」状態に近づけられればいいなと思っています。

そのための取り組みとして、ダイジェストではなく24回に分けて本編を余すことなくレポートし、点でも線でもなく、面として、ひとつの「かたまり」として記憶を疑似体験して欲しかった。現地に行くのが一番いい方法なのは間違いありませんが、それを言っても始まらないので、別のアプローチを考えた結果、この思いに至りました(続きます)。

Date: 12/07/11